Authenticity(オーセンティシティ)とは 「本物であること」、「真正であること」「確固たる人によって行われた信頼性が高いもの」などを意味する。日本でも、建造物や遺跡などの文化遺産が持つ本物の芸術的、歴史的な価値を意味する時に使われているようだ。

セス・ゴーディンにとって「オーセンティシティ」という言葉は、意図をもって使われていると思う。彼の原文を読む限り、この「Authenticity」がでてこないものはないと言っていいくらいだ。それだけ、キーワードになっているのでこれは是非翻訳しようと思った。

Seth Godin’s blog(セス・ゴーディン ブログ)2009年2月16日:Authenticity

If it acts like a duck (all the time), it’s a duck. Doesn’t matter if the duck thinks it’s a dog, it’s still a duck as far as the rest of us are concerned.

あひるのように始終行動すれば、それはあひるとみなされるんだ。それが実際は違う動物であるかどうかなんて、気にするもんじゃない。それは、関心があるかぎり、あひるとみなされるのだから。

Authenticity, for me, is doing what you promise, not “being who you are”. That’s because ‘being’ is too amorphous and we are notoriously bad at judging that. Internal vision is always blurry. Doing, on the other hand, is an act that can be seen by all.

僕にとってのオーセンティシティとは、人が存在”being”しているかどうではなく、君が約束したことを実行”doing”することなんだ。なぜかっていうと存在”being”というのは形がなくとらえどころがなさすぎるし、判断には向いていないからだ。ビジョンというものはいつもぼやけてしまう。しかし、その一方で、行動はすべて可視化できるものだ。

As the Internet and a connected culture places a higher premium on authenticity (because if you’re inconsistent, you’re going to get caught) it’s easy to confuse authentic behavior with an existential crisis. Are you really good enough, kind enough, generous enough and brave enough to be authentically a hero or leader?

オーセンティシティに裏打ちされた高いステータスは、インターネットや複合文化が担うようになった。だけどね、オーセンティックな見かけだけの振る舞いを重要な問題だととり間違えてしまいやすいんだ。
本当に、善良な対応をしているかい?十分に親切で寛大な対応をしているかい?オーセンティックなヒーローやリーダーになれるだけの勇気があるかい?

Mother Theresa was filled with self doubt. But she was an authentic saint, because she always acted like one.

マザーテレサは、無神論者だった。けれども、彼女はオーセンティックな聖者だったよ。なぜなら、聖者のようにいつもアクションをおこしていたからね。

“見かけだけの振る舞い”に惑わされないために、もちろん受信側にもリテラシーが必要になるのですが、それ以上に発信する方も、本当に「オーセンティック」な行為や発言かを意識したほうがいい。ということなんだと思います。