プロダクトアウトとマーケットイン

マーケティングというのは、いつどのようにして生まれたかをご存知ですか?

マーケティングというのは、それが必要とされたから生まれたわけです。つまりマーケティングなしにモノが売れていた時代が元々あって、それが通用しなくなったから生まれたのです。

プロダクトアウトとマーケットイン

一般によく言われているのは、モノが圧倒的に不足していた時代は、どんなものでも作れば売れました。ご存知のように、3C(Car=車、Cooler=エアコン、Color television=カラーテレビ)という言葉があった時代は、「持っていない人が買う」という消費行動でした。そのため、メーカーにはとにかく大量に、とにかく他社よりも速く作ることが求められていました。

当時はただひたすら工場から出荷すればよかったのでマーケティングは必要とされていませんでした。この頃の考え方を「プロダクトアウト」と呼んでいます。作り手主導で、メーカー側がいいと思うもの(売れると思うもの)をどんどん市場に出していました。「高度成長時代」と呼ばれていた頃には、実際にそれでモノが売れていたのです。

その後、バブルを経て、世の中にモノが溢れる時代になりました。となると、消費行動としては、新規需要ではなく、買換え需要が対象になります。

みなさんもテレビを買い換えた経験があると思いますが、そういう時は他の製品よりも性能がいいとか、小さくて軽いとか、価格が安いとか、そういう付加価値が決め手になりますよね。でもそのうちのどれが決め手になるかをメーカーはわかっていないことも多いのです。

あるいは色を変えるにしても赤がいいのか青がいいのか、わからないまま作り手が勝手に「自分の」好きな色で作ってしまう。だけど残念ながら、こういう製品は売れません。

そこで、市場の声を聞く、顧客の望む商品を作ろうという考えが登場しました。それを「マーケットイン」と呼んでいます。

プロダクトアウトを捨ててはならない

メーカーがエゴを捨て、顧客のニーズに合わせた商品を開発する、そういうことが大事なことはなんとなくわかります。ですが、本当にマーケットインが正しいのでしょうか? プロダクトアウトでは売れないのでしょうか?

一般的にはプロダクトアウトではダメ、マーケットインに移行しなければ、という文脈で語られることが多いのですが、ぼくは少し違和感があります。

これはブランディングの話と深く関係するのですが、世の中に伝説を作るにはプロダクトアウトでしかできないと思います。

SONYがダメになったのはまさにこのプロダクトアウトを忘れたからです。街中で音楽を聴くという革新的な製品を出した時、彼らは文化そのものを作りました。ソニー株式会社の創業者である、井深大さんは「市場は作るものだ」とおっしゃっていたそうですが、これこそがプロダクトアウトの正しいあり方です。

プロダクトアウトがダメだといわれているのは、それがただのエゴになってしまった場合で、高邁な理想を掲げて文化を作り、市場を作るのはいつだってメーカーサイドなのです。

スターバックスが世界中にカプチーノを飲ませたり、DoCoMoが携帯電話を日常的なツールにしたのは、彼らが市場の声をある意味無視して「自分たちがいいと思うもの」を世の中に提案してきたからではないでしょうか。

もちろん彼らも100%市場を無視しているわけではなくて、潜在需要(=市場性)をきちんと調査しています。だからプロダクトアウトとマーケットインはあくまでもバランスの問題であることは事実なのですが、世の中にはあまりにも「マーケットインが正しい」という書籍が多いのです。

マーケティングとは翻訳すること

この手の議論がゼロかイチかの極論になりがちなのは、「開発者の作りたいモノ」と「顧客が望むモノ」とが一致しないということに起因しています。それはある部分では正しいのですが、必ずしもそうではないし、そのギャップを埋めることが本当のマーケティングであるとぼくは考えます。

市場のニーズを開発者に翻訳して伝えること、さらには開発者が作ったものを市場の人たちがわかるように翻訳して伝えること、その翻訳作業がマーケティングなのです。

ニーズ(顕在需要)やシーズ(潜在需要)をリサーチして、それを開発者にわかる言葉に翻訳して伝える。そうすることで彼らの創意工夫を促し、画期的な商品を作り出します。さらにそうしてできあがった製品の革新性を世の中の人がわかる言葉で伝えていく、これができていない製品は絶対に売れません。

マーケターは常に翻訳者であることを自覚していなければなりません。
「マーケティングとは販売を不要にすること」とドラッカーは言いましたが、それは市場とのコミュニケーションが不要ということではないのです。

ひとりでもたくさんの名翻訳者がマーケティングの世界に現れることを願っています。