インターネット化する世界、ソーシャル化する消費者(1)
今日、明日と2回に分けてこの10年の世の中の変化、そしてそれによって生まれた新しい消費者に対して企業はどのように対応していくべきかについて整理します。
最初に結論を述べますが、ぼくはこの10年間で起こった変化を「世の中のインターネット化」、そして「消費者のソーシャル化」だと思っています。
この10年間の変化
この10年(正確には15年弱)にぼくたちの身の回りに起こった大きな変化として以下のようなものがあります。
- 個人が電話を所有する
- カメラを持ち歩く
- 1000曲以上の音楽を持ち歩く
- 自宅のリビングがゲームセンターになる
もっとも象徴的なものは携帯電話でしょう。手塚治虫ですら未来の商品として想像できなかった携帯電話ですが、2009年末の数字では契約台数は110,617,000台(TCA調査)、世帯普及率は96.3%(総務省調査)にも達しています。
携帯電話の普及によって、単に個人が自分の電話番号を所有するだけでなく、ほぼ全員が自分のメールアドレスもあわせて所有することになったことも大きな変化です。
さらには1999年2月にiモードが登場して以降、日本国内のほとんどどこからでもインターネットに接続できるようになったという点が「インターネット化」のベースを支えています。
デジカメ、カメラ付ケータイの普及も変化のひとつです。
フィルムカメラ、その後の「写ルンです」に代表されるレンズ付きフィルムまで、写真を撮るという行為は非日常なものでした。ほとんどは旅行や結婚式などのイベントに限定されてましたし、その理由として現像コストが大きかったわけです。
それがデジカメによっていくらでも失敗できるようになると、普段の生活でも写真を撮るようになりました。通勤途中の風景、その日のディナー、いまではどんな対象でも気軽に写真撮影をしています。
そして2000年11月、世界初のデジカメ内蔵携帯電話「J-SH04」(シャープ製)がJ-PHONEから発売され、デジカメは常に携帯するものになりました。
メールに添付したり、ウェブにアップするなどしてインターネットで写真を共有すれば、現像すら必要なくなり、ぼくたちの年間の撮影枚数は飛躍的に増えました。写真を撮影する行為が日常化したのです。
また初代「iPod」が2001年11月に発売され、それまでのCDやMDのようにアルバム1枚単位を持ち歩いて聞くのではなく、1,000曲以上を持ち歩いて自由に聞くというライフスタイルが生まれました。
さらにネットから1曲単位で音楽を購入できるようになったことも画期的でした。ケータイの着メロ、着うた含め、いまでは音楽流通の大半はネットにシフトしています。
家庭用ゲームの世界にも変化がありました。
じつは家庭用ゲーム機によるインターネット対戦は「セガサターン」(1996年)やその後継機「ドリームキャスト」(1998年)でもできたのですが、当時は通信環境が不十分で処理速度も満足いくレベルではなく利用者が限られていました。
それがいまではニンテンドーDSだけじゃなく、WiiもPS3もWi-Fiを標準搭載しているため、多くの家庭からインターネットに接続され、まさに自宅のリビングがゲームセンターになるというファミコン世代には夢のような状況が現実となっています。
インターネットで対戦するということは、海外のゲーマーと対戦できるということです。ぼくも「マリオカート」や「ウイニングイレブン」で海外のゲーマーと対戦しています。
デジタル家電製品の一般世帯普及率
内閣府では「消費動向調査」というデータを公表しているのですが、見たことありますか?
たとえばパソコンやデジカメが一般世帯にどのくらい普及しているかを見たい場合は、かなり参考になるデータです。
これを見ればわかるようにパソコンは74.6%、デジカメもすでに71.5%の家庭に普及していることがわかります。
(携帯電話の世帯普及率は総務省の数字とは若干異なり92.4%となっています)
インターネット普及率
インターネットの普及率も大きく伸びました。1999年には2,706万人だったインターネット利用者数も、いまでは9,000万人を超えており、普及率も78%に達しています。
(パソコンの世帯普及率は内閣府の数字とは異なり87.2%となっています)
このあたりはいまさら説明するまでもないことですし、むしろみなさんの実感を思い返していただくのがいちばんいいと思います。
2000年当時、そしてここ数年と、みなさんの友だちや家族、もちろんご自身も含めてインターネットが当たり前のものになってきたのではないでしょうか。
インターネット化する世界
ぼくはこの10年あまりの変化を「インターネットの一般化」と「インターネットの日常化」だと捉えています。
インターネットの一般化
「インターネットの一般化」とは、インターネットを誰もが使うようになったことを指しています。
象徴的なのは「インターネットってなに?」とは聞かれなくなったことでしょう。2000年くらいまではまだまだそういった質問が多く、とくにぼくはニフティに勤めていたこともあって何度も聞かれたものですが、いまではそのような質問が出ることはまずありません。こうした認知度の向上がまず挙げられます。
また前半で紹介したように、ネット対応製品が増えたことも一般化の象徴でしょう。パソコン、ケータイ、ニンテンドーDS……、いまではネット対応製品がひとつもない家庭はほとんどなくなったのではないでしょうか。
そしてこれもひとつの特徴なのですが、ほとんどのインターネットユーザーは「いま自分がインターネットを使っている」という自覚なしに利用しています。
メールを送るとき、あるいはゲームで対戦するとき、どんな仕組みでそれが実現しているかをぼくらは意識しません。電話やテレビの仕組みを理解しないまま使うように。
インターネットの日常化
もうひとつの「インターネットの日常化」とは、インターネットを毎日使うようになったという意味です。
ぼくたちはいつでも、どこでもインターネットを使うようになりました。メールを送ったり、ゲームをしたり、検索をしたりといろんな用途で毎日使っています。ブログやSNSに参加する人も増えてきました。
時間や場所を問わなくなったのも大きな変化です。
トイレの中もベッドでも、そして通勤時の電車内もぼくたちはケータイを使って、インターネットに繋がっています。
個人がインターネットに繋がった
とりわけケータイが大きなインパクトを与えたのは、個人をインターネットに繋げたことです。
1990年代後半からインターネットは急速に普及したわけですが、当初は家庭単位の話でした。あくまでも家庭にあるパソコンがインターネットに繋がったという話なので、じっさいにインターネットを使うのも夜や週末に限定されていましたし、ひとりで占有できないためにメールやSNSなどのコミュニケーション目的に利用するのも難しかったのが現状です。
それがいまでは個人が、自分の好きなときに、好きな場所から利用できるようになったというのは本当にすごいことです。
そしてインターネットに自由に繋がる個人が増えることで、今度は個人同士が繋がり始めたというわけです。まさにソーシャル化です。
ケータイメール、ブログ、SNS、ソーシャルゲームといった多種多様なサービスを利用して、ぼくたちのコミュニケーションの頻度や回数は劇的に増えました。
メール、ブログ等によって1日に何度も、何人とも会話することで、新しい人間関係が生まれています。いまでは趣味の友だちやゲームの対戦相手はネットの向こうにいるのが珍しい話ではありません。
会ったことのない友だちや仲間も増えました。過去にも文通などで非対面の交流は存在していましたが、それらとは比較にならない規模で交友関係が拡大しています。
ぼくたちはいつ、どこにいても、孤立することなく誰かと繋がることができます。
世の中がインターネット化し、ぼくたちはまちがいなくその恩恵を受けているわけですが、次回はもう少し踏み込んで消費行動にどのような変化が起こったかを整理します。
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