孔子に学ぶマーケティング
ぼくはよくマーケティングの原点は『論語』にある「己の欲せざるところ人に施すことなかれ(己所不欲、勿施於人)」にあると主張しています。
この言葉は学生時代(中学だったかな)に漢文の時間で習ったものですが、妙に印象的でいまだに覚えています。
つまるところ、それは「自分がやられて嫌なことは相手にしない」という当たり前の話なのですが、マーケティングでいちばん忘れられやすいことでもあります。
そう考えれば「パーミションマーケティング」も孔子の教えを現実的に具体化しただけとも言えますよね。
『論語』にはほかにもマーケティングのヒントになる言葉がたくさんありますので(まあそういうふうに読んでるだけなのですけど)いくつか紹介します。
孔子に学ぶマーケティング
ここで紹介する言葉は教科書に載っていたものもいくつかありますので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
いまあらためて孔子の言葉を読み返してみると大人になったからこその発見があるかもしれませんね。
恕
子曰く、それ恕(じょ)か。おのれの欲せざるところは、人に施(ほどこ)すなかれ。
(まず恕だね。人からされたくないことは、自分も人にしてはならない)
あなたが送るメールは、あなた自身が受け取りたいものですか?
明日から始まる割引キャンペーンは、今日購入したお客さんにとって納得のいくものですか?
マーケティングの世界ではこうした当たり前のことが簡単にないがしろにされています。言い換えればアンフェアが平気でまかり通っています。
本当にその先に商売の成功が待っているのでしょうか。メールを送る前に一度考えてみてください。あなたがメールを送るのは簡単です。しかしそれと同じくらい、顧客は簡単に離れていくのです。
この言葉は弟子である子貢に「生涯守るべき信条となるような言葉はありますか?」と問われた孔子が答えた一節です。
「恕」というのは他人の心を推しはかることを意味していて、平たく言うと「相手への思いやり」です。
ぼくはこの言葉こそマーケティングに携わる人間が常に意識すべき鉄則だと思っています。
過不足
子曰く、過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
(過と不足は同じだよ)
キャンペーンを考える際、どうしてもあれこれと盛り込みすぎることはあります。自信がないととくにその傾向は強くなるようです。
その結果、誰に向けたものかがわからない企画になりますし、むしろ成功の可能性は低く理なります。
下手な鉄砲は数を撃つから当たるのであって、ひとつにまとめてしまっては意味がありません。
この言葉は弟子である子夏と子張のどちらが優れているかを問われた孔子が「子張は度が過ぎている。子夏は度が足りない」と評し、では子張のほうが優秀なのですねと言われた際に「そうではない。過と不足は同じだよ」と否定したエピソードに由来しています。
もちろん削ぎ落としすぎて「何を言いたいのかわからない」状況はダメです。しかし油断すると詰め込みすぎる傾向がある以上は、むしろ「Simple is the best.」を意識して、できるだけわかりやすくすることを心がけたほうがいいでしょう。
「KISSの法則」なんてのもありますしね。
学ぶこと
子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し。思いて学ばざれば殆(あやう)し。
(読書ばかりして思索を怠ると知識は身につかない。逆に思索にのみふけって読書を怠ると独善的になるよ)
孔子は『論語』の中で何度もバランスを説いています。書籍から学ぶ大切さを説きつつも、知識を詰め込むだけでは意味がないことを指摘しています。
このへんは事例ばかりを求めるマーケティング担当者にも言えることですね。自分で考え、行動することでしか得られない経験をおろそかにしてはなりません。
学ぶことについては本当にたくさんの言葉があるのですが、こんなのも紹介しておきましょう。
子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。
(知識をただ理解するだけでなく、それを好きになり、さらには楽しむくらい実践しなければならないよ)
情報量が爆発的に増大している話をよく聞きます。そんな時代だからこそ情報を集めるだけじゃなく、それをどうやって身につけるかについても考えなければなりません。
そのためには実践こそが最良かつ最短の手段です。
温故知新
子曰く、故きを温めて新しきを知れば、もって師たるべし。
(歴史を深く探究することを通して、現代への認識を深めていく態度、これこそ指導者の資格だね)
ぼくたちはソーシャルメディアマーケティングしかり、とにかく新しい言葉やツールに惑わされがちですが、マーケティングが人の気持ちを対象にする以上、本質的な部分は常に不変です。
幸いにしてマーケティングの世界でもたくさんの事例が書籍やウェブ上に残っています。こうしたものに目を通し、探求することを忘れないようにしましょう。
と同時に、過去にばかり囚われてばかりいるのも危険です。
子曰く、後生畏る可し。いずくんぞ来者の今にしかざるを知らんや。
(若者には将来に希望がある。今後の世代が、現在の世代を乗り越えていかないとは言えないのだ)
ケータイ電話やインターネットに代表されるように世の中はどんどん変化しています。クルマの登場や、電話の登場がマーケティングを変えたように、これからもマーケティングの手段・手法は常に変化していくはずで、それを受け入れる寛容さを持ち合わせていたいものですね。
『論語』をもっと読もう
日本の政治家や経営者で『論語』を好きな人はけっこういますが、ぼくら現場の実務者ももう少し読んでみませんか。
ぼくはこの本をしょっちゅう読み返しています。1ページにひとつのエピソードなので適当に開いて読むにはとても便利です。
入門には以下の雑誌もオススメです。
ぜひ感想を聞かせてください。
河野さん、こんにちは。漢文は苦手だったのである程度心してこのエントリを拝見したのですが、わかりやすくてほっとするとともに納得しました。ぜひ、孔子に学ぶマーケティングをeブック化していただきたいですね。座右の銘ならぬ座右の書にします。私が敬愛するセスゴーディンの本もそうですが、言っていることは至って常識的かつシンプル。しかし、「マーケティングの実例」に照らし合わせてみると、いかに多くの会社がこれを実践できていないことに気づきます。何事も相手を思いやることから始めたいですね。素晴らしいエントリありがとうございました。
コメントありがとうございます。
『論語』ってシンプルな話ばかりなんですよ。あ、ちなみにぼくも漢文ではとても読めないので、日本語訳(現代語訳)で読んでます(笑
自分は、3級販売士の資格を取得していて、そのほかに平成の元号の生みの親としても知られている、安岡正篤先生の関係の勉強会で論語の勉強をしています。
それで、昨日販売士のセミナーで、藤野公子さんの「判りやすいマーケティング」を他の販売士の方たちとともに、受講してきました。
じつは、その2時間前には件の安岡先生の勉強会で、安岡正篤先生のお孫さんの安岡定子先生の「こども論語塾」で10数組の親子連れとともに論語の素読などをしてきたのですが。
それで、マーケティングの勉強は始めたばかりで、あまりよく判っていないのが実情です(とくに4Pとか4Cとかってなんじゃらホイって感じですかね)。
で、今回のセミナーで判ったことが一つあります。それは、「マーケティングとは、人を知り世の中を知ることである」ということです。
これは、子曰く、「人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う」そのままということでしょう。
実際の話、シャープやパナソニック、ソニーなどが今崖っぷちに立たされていますが、これらに共通することは物(大画面テレビとかブルーレイとか)ばかり見て、人を知ることを怠った結果だと思います。
なので、論語とマーケティングの共通点を調べようと思って、ググってみたらこのページを見つけて、コメントを投稿してみました。
我無回さん、コメントありがとうございます。
「マーケティングとは、人を知り世の中を知ることである」というのはそのとおりだと思います。より正確にいうならば「人【の心】を知る」でしょうね。そして「世の中【の流れ】を知る」かも。
いずれにせよ、これからの消費には「共感」や「支持」が問われるようになっていくと思いますので、きちんと人を見て、自分がされたらうれしいことをしていきたいものですね。
返信ありがとうございます。
「人の心を知り、世の中の流れを知るそれが、マーケティング」。
おっしゃる通りだと思います。
そして、それに失敗したこと(あるいはうまく機能しなかったこと)が、日本の製造業(特に家電業界)の衰退の原因だと思います。
ぶっちゃけた話、数年前の3Dテレビの例を見ればわかるとおり、テレビ局で3Dの番組の制作のめどすら立っていない段階で、やみくもに3Dテレビを作ることに狂奔して、その挙句全く売れないわけですから。
これなんか、完全に人を見ることも人の心を見ることもしていない証明でしょうね。
その一方で、「日本は物作り大国である」こう言われて久しいですが、それ以前に「人づくり」をしているのでしょうか。
論語の勉強をしていると、そういうところも気になったりしています。
結局のところ、日本の復権のためには、人づくりをいかに行うかだと思います。
その中心になるのが、論語だと思います。
というか、昔の日本人は論語をOSとして生きていたのではないでしょうか?
いずれにしても、自分も孔子の説く仁と恕をできる範囲で、実践していきたいと思います。
そうですね。ぼくもがんばります!